ビンテージセレクトショップ アメリカンウェーブ
〒901-2134 沖縄県浦添市港川2-16-9 No.22 google mapで見る
TEL/FAX : 098-988-3649
ショッピングは店頭で、又はヤフオクはこちらから
オンラインショップはこちらから
2019年以降の新ブログはこちら
〒901-2134 沖縄県浦添市港川2-16-9 No.22 google mapで見る
TEL/FAX : 098-988-3649
ショッピングは店頭で、又はヤフオクはこちらから
オンラインショップはこちらから
2019年以降の新ブログはこちら
グレゴリー・ペック Gregory Peck
2010年09月20日
クラシック映画ファンなら誰もが知っている、グレゴリー・ペック。
身長188cmという長身で、整った顔立ちで、理知的な印象、正義感あふれる良心的な役が合う、そしてスーツがよく似合う素敵な俳優でした。
白い恐怖 / Spellbound(1945)
紳士協定 / Gentleman's Agreement (1947)
ローマの休日 / Roman Holiday (1953)
大いなる西部 / The Big Country (1958)
アラバマ物語 / To kill a Mockingbird (1962)
頭部が小さく、脚は長く、肩幅が広いので、スーツがよく似合いました。
グレゴリー・ペック (Gregory Peck)1916年4月5日生まれ。薬剤師の父親の元に生まれるが、ペックが5歳の時に良心が離婚。父方の祖母に育てられ、その後陸軍学校に、再び父親が引き取る。父親の希望でカリフォルニア大学バークレー校の医学部に入学。学費捻出が厳しく、中退、そして石油を配達するトラックの運転手の仕事に就くも、その後友人に助言で大学の薬学部に戻りったそうです。顔どころか、頭も良かったんですね。
ボート部で精髄を傷めて、演劇部に集中。当時の演劇部の監督に見いだされ、寮の食事作りのヘルパーをする代わりに学費年26ドルで、大学に在籍し続け、演劇を続けたそうです。
大学卒業後は、ニューヨークに移り住み、劇団に入り、万国博覧会のガイドや、テレビ局のツアーガイドの仕事をしつつ、42年にブロードウェーデビュー。
44年に「炎のロシア戦線」でデビュー。当時は大戦中で、徴兵制のため男性俳優が不足しており、脊髄を痛めていたペックは兵役を免除されていたので、2枚目で風格もあったことから、一躍人気俳優に。
1945年のヒッチコック映画「白い恐怖(Spellbound)」 (1945)はイングリットバーグマンと共演。シワ一つ無いグレゴリーペックが新鮮です。
1953年のオードリーヘップバーンのアメリカでの映画デビュー作にて、アカデミー賞主演女優賞受賞の「ローマの休日」が日本では有名。この映画で彼のファンになった方も多いのではないでしょうか。
1962年の「アラバマ物語」では人種差別と戦う正義感溢れる弁護士役でアカデミー主演男優賞を受賞。アメリカではこの映画のイメージが強いことと、社会的にも様々な形で貢献し、広く知られていることから、現在でも人々には誠実で正義感溢れる素晴らしい俳優と記憶されているそうでうす。
おすすめ映画は
「白い恐怖(Spellbound)」 (1945)
「子鹿物語(The Yearling)」 (1947)
「紳士協定(Gentleman's Agreement)」 (1947)
「キリマンジャロの雪 (The Snows of Kilimanjaro)」 (1952)
「渚にて(On the Beach)」 (1959)
「恐怖の岬(Cape Fair)」 (1962)
「アラバマ物語」(To kill a Mockingbird)」 (1962)
とりあえず「ローマの休日」を見て、その後に「アラバマ物語」を見るのがおすすめです。
ヒデキ
身長188cmという長身で、整った顔立ちで、理知的な印象、正義感あふれる良心的な役が合う、そしてスーツがよく似合う素敵な俳優でした。
白い恐怖 / Spellbound(1945)
紳士協定 / Gentleman's Agreement (1947)
ローマの休日 / Roman Holiday (1953)
大いなる西部 / The Big Country (1958)
アラバマ物語 / To kill a Mockingbird (1962)
頭部が小さく、脚は長く、肩幅が広いので、スーツがよく似合いました。
グレゴリー・ペック (Gregory Peck)1916年4月5日生まれ。薬剤師の父親の元に生まれるが、ペックが5歳の時に良心が離婚。父方の祖母に育てられ、その後陸軍学校に、再び父親が引き取る。父親の希望でカリフォルニア大学バークレー校の医学部に入学。学費捻出が厳しく、中退、そして石油を配達するトラックの運転手の仕事に就くも、その後友人に助言で大学の薬学部に戻りったそうです。顔どころか、頭も良かったんですね。
ボート部で精髄を傷めて、演劇部に集中。当時の演劇部の監督に見いだされ、寮の食事作りのヘルパーをする代わりに学費年26ドルで、大学に在籍し続け、演劇を続けたそうです。
大学卒業後は、ニューヨークに移り住み、劇団に入り、万国博覧会のガイドや、テレビ局のツアーガイドの仕事をしつつ、42年にブロードウェーデビュー。
44年に「炎のロシア戦線」でデビュー。当時は大戦中で、徴兵制のため男性俳優が不足しており、脊髄を痛めていたペックは兵役を免除されていたので、2枚目で風格もあったことから、一躍人気俳優に。
1945年のヒッチコック映画「白い恐怖(Spellbound)」 (1945)はイングリットバーグマンと共演。シワ一つ無いグレゴリーペックが新鮮です。
1953年のオードリーヘップバーンのアメリカでの映画デビュー作にて、アカデミー賞主演女優賞受賞の「ローマの休日」が日本では有名。この映画で彼のファンになった方も多いのではないでしょうか。
1962年の「アラバマ物語」では人種差別と戦う正義感溢れる弁護士役でアカデミー主演男優賞を受賞。アメリカではこの映画のイメージが強いことと、社会的にも様々な形で貢献し、広く知られていることから、現在でも人々には誠実で正義感溢れる素晴らしい俳優と記憶されているそうでうす。
おすすめ映画は
「白い恐怖(Spellbound)」 (1945)
「子鹿物語(The Yearling)」 (1947)
「紳士協定(Gentleman's Agreement)」 (1947)
「キリマンジャロの雪 (The Snows of Kilimanjaro)」 (1952)
「渚にて(On the Beach)」 (1959)
「恐怖の岬(Cape Fair)」 (1962)
「アラバマ物語」(To kill a Mockingbird)」 (1962)
とりあえず「ローマの休日」を見て、その後に「アラバマ物語」を見るのがおすすめです。
ヒデキ
WEBストアはこちらからどうぞ!→ WEB
スリリングなオークションはこちらから!→ オークション
Posted by AmericanWave at 16:00│Comments(0)
│Movie
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。